海外駐在経験で得られたもの

カナダで初めて経験した海外での長期駐在。同時に私は、初めての部下も持ちました。ただでさえ言語のハードルがある中で、部下との向き合い方に悩み続け、本来自分のすべき仕事まで疎かになる始末。その末に待っていたのは、パフォーマンスが思わしくなかった部下に厳しい評価を下し、本人が納得するよう伝えなければならないという試練でした。結局この話はハッピーエンドを迎えることもなく、苦い経験のまま終わりました。自分がもう少しうまくサポートできていたら——そんなふうに今でも後悔しています。
失敗を二度と繰り返さないよう、帰国後はマネジメント経験や人を動かす経験を得られる場へ積極的に身を投じ、「人と接することから逃げない」よう自分に強く課しています。文化も言語の壁もない日本でこれができなければ、日本から外に出たときにできるはずがありません。仕事も最後は人と人です。「いかに相手の目線で物事を考えられるか」。それを常日頃から意識しています。
家庭との両立のための工夫と制度利用

平日の私は基本的に出社して業務にあたっています。決算期などの繁忙期にはどうしても夕方以降の家庭でのサポートができなくなってしまうので、朝の幼稚園送りは自分の役割としています。また、週末は自分個人の予定は最小限に抑え、料理や洗濯などの家事の大半をこなせるように努めています。悲しくも歳のせいか朝早く目が覚めるようになったことをきっかけに、仕事も朝型に切り替え、可能な限りこうした家庭生活に支障が出ないようにしています。
職場には同じように子育て中の同僚も多く、フレックス制度を含めた柔軟な働き方に大きな理解があります。子どもの体調不良など、不測の事態が起きても可能なかぎりのサポートを得られています。
また、1か月半の育児休職も取得しました。ちょうどカナダ駐在からの帰国と重なり、ただでさえさまざまなセットアップに忙殺される中、1か月半という期間の余裕が持てたことにとても助けられました。
経歴
入社動機

恥ずかしながら「とりあえず商社ってカッコよさそう」、これ以上でも以下でもありませんでした。
ただ振り返ってみれば、就活準備がまったくできていなかった私が唯一、自分をありのままに表現し、受け入れてもらえたのは三菱商事の面接でした。「人と人が仕事をする」という傾向が著しい商社という場において、そのような面接官と一次面接から三次面接の3回とも巡り合えたということは、やはりこの会社がマッチしていたということなのかなと思います。
入社前

生い立ち
両親と5歳上の姉がいる4人家族のもと、京都に生まれる。父の転勤ですぐに関東へ移り住む。
小学校〜大学時代
小学校1年生から大学4年生まで野球一筋。ただし中学受験で進学校に進んだことにより、大した野球の戦績を残すことができず。「せっかく続けてきたのだから」ということで六大学野球への挑戦を決意し、大学受験勉強にまい進。幸運にも1年生から試合に出続けるものの、甲子園のスターたちを相手に連敗の日々。怪我にも幾度となく泣かされた。振り返ってみれば、自分を強くしてくれた貴重な挫折の経験だが、4年生の時は同期と引退までを毎日カウントダウンするくらい辛い日々だった。就活にもろくに時間をさけず、唯一内定した三菱商事一択の状況で、無事入社を決意した。
入社後

海外出向先でのクリスマスパーティー
- 2013年
-
<国内/本店/コーポレート(財務・経理)>
入社。エネルギー事業グループ(当時)の予算策定・決算の取纏めや、案件審議等を担う管理部に配属。石油事業、天然ガス事業の営業部の面々にしがみつきながら、専門知識を蓄える日々。
- 2018年
-
<海外/事業会社/事業経営>
カナダ・カルガリー駐在。短期留学を除けば、人生初の海外暮らし。シェールガスの開発・生産事業、及びLNG事業の立ち上げに、ファイナンス担当として携わる。LNGカナダの最終投資決定のセレモニーには、トルドー首相(当時)も参加。限りなく微力ではあるものの、国を動かすようなプロジェクトの一員である責任と高揚を感じた。また、コロナによるロックダウン、そして出入国の制限による任期の延長などを通じて、商社パーソンとして働くことの厳しさを身に染みて感じた。自分にとってのキャリアの転換点。
- 2021年
-
<国内/本店/コーポレート(財務・経理)>
帰国後、1か月半の育休を経て主計部へ着任。業務内容自体はガラッとかわったものの、カナダでの経験を活かし、何事も自分事と捉えて変革していくことに挑戦する日々。4年間での兼務数は4部署にのぼる。
仕事

応募を検討している方へのメッセージ

人によっては、「三菱商事のような大企業に入れば将来安泰だ」あるいは「三菱商事のような大企業では、自分一人でできることは限られそう」といったイメージをお持ちかもしれません。私は、どちらも、無条件にYesではないと思っています。技術やブランドを自前で持たないことを基本とし、「人が最大の資産」である三菱商事は、社員が現状に胡坐をかいた瞬間、あっという間に崩れ去るほど、実は脆くて弱いのです。ただ、それを回避できる道は無限に広がっています。その道を選び、掴んでいくのは、今いる社員と、これから入社する一人ひとりです。
実際に私が十数年、この会社で働いて改めて思うのは、先人たちが薄氷の上で勇気をもって突き進んできたこと、そして自分たちが、未だに薄氷の上にいるということです。一方で総合商社は、拠って立つ技術やブランドがないからこそ、いつでもこだわりを捨て、新しい何かに挑戦していけます。そして、しっかり考え抜いて信念を込めた提案は、時に拍子抜けするほど簡単に、この大きな組織を動かします。
好奇心やアドベンチャースピリット満載の、ワクワクするような仲間を待っています。
記憶に残る上司・先輩
自己成長を強烈に後押ししてくれる優れた仲間が、上司・先輩に限らずいくらでもいるのが三菱商事です。12年の会社人生の中で、考え方さえ変えてくれるような上司との出会いが2度ありました。1人はカナダ駐在時の上司。もう1人は帰国後、主計部での最初の上司です。
考えに考え抜いたプランを持ち込んでも、この2人からはまったく違う視点や考えもつかなかったアイデアを返され、挫折を感じる日々でした。ただ、それにへこたれずに食らいついていく私の姿勢を見て、粘り強く育ててくださったことを今でも感謝しています。
2人の上司は、一緒に仕事をすることがなくなった今でも、常に私の頭の中にいます。私が何かを考え抜いた先に、頭の中の2人に「どうですか?」と聞くと、いつもあの頃のように「いやいや、こういう観点も考えないといけないよね」と指摘してもらえます。「一緒に仕事をしたことが記憶に残る」ということだけではなく、その人と仕事をしたことがいつまでたっても自分にいい影響を与え続けるのが、真の意味で記憶に残る上司・先輩ということなのだと思います。自分も他の誰かにとって、そういう人間になるよう研鑽を積む日々です。
休日
海外生活の思い出

クリスマス休暇に厳冬を抜け出し、常夏の世界に旅立つのがカナダ人の定番です。私もせっかくアメリカ大陸にいたので、日本からはなかなか行けないカリブ海の島へ行きました。行き先は「世界一危険なビーチ」としても有名なセント・マーチン島。砂浜から手を伸ばせば届きそうなところを飛ぶ飛行機と青い空、エメラルドグリーンの海を前に、現実へ帰ることを拒否しかけました。
それ以降も、行きたい場所リストを書きためていたところに襲ったコロナ禍。「いつか行こう」ではなく「いけるならすぐ行こう」が大事だな、と痛感しました。

