いまの業務に活きている、前職やMBAでの経験

あらゆる経験が自分自身の全人格形成の一部となり、ごく自然に意思決定に活きていると感じています。ですから、個別の経験が具体的にどう影響しているのかは、実はあまり意識することがないのが本音です。課題を見つけてアクションしていく上で、足りない要素があれば社内のリソースから補うこともできるので、前職での知見やネットワークがなければ絶対にできなかった、という何かも思い当たりません。
強いて挙げるなら、官庁については「ロジカルシンキング/文章力/新しいミッションへの即応力/大物相手に物怖じしない姿勢/政治・経済の雑談力」といったところでしょうか。特に、文章力には助けられてきました。プロジェクトの中で、自分の役割や期待されていることがあいまいな時でも、とにかく書き手として貢献できる、というのは大きかったかもしれません。
MBAは、恥ずかしながら真面目に授業に出ていたほうではなく、あまり偉そうには語れません。ただ、ウォーレン・バフェット氏も受講したとされる、コロンビア大のValue Investingの講義は特に刺激的だったのを今でも覚えています。短期間では再現できない競争優位性をどうやって構築するか、徹底的に考えさせられました。業務上のさまざまな意思決定をする場面や、案件について討議する際の思考のバックボーンになっていると思います。また、三菱商事入社後に海外インテリジェンスを担当する中で、MBA時代の学友のネットワークに助けられたこともあります。
経歴
入社動機

官庁ではやりがいと責任感のある仕事ばかりでした。一方で常に不安だったのは、実業界での経験がないゆえに「人様の人生に大いに影響を与える判断を、軽い気持ちでやっていないか」ということ。もっとリアルで生々しい現実を体験したいという思いは募るばかりでした。
また、当時の官庁は所属部署の「タテの論理」で物事を考える傾向が強く、自分としては所属する組織のサイズ感を落としてでも「組織全体を俯瞰した統合的な思考で行動したい」と願うようになりました。
こうした思いが重なって、三菱商事への転職につながりました。特に後者については、総合力で新たな価値を生み出す三菱商事は私の志向にピッタリでしたし、転職するなら「for the team」の組織文化が自分には合っていると直感していましたので、入社は必然だったのかなと思います。
入社前
幼少期
東京都足立区で3人兄弟の末っ子として生まれる。父はほとんど家にいない、典型的な「モーレツサラリーマン」。自分は祖父にべったりくっついて育つ。祖父は質屋を営みながら、地元の公職や地元政治家の支援活動をする悠々自適な自由人。多種多様な来客に対応する祖父の膝の上で、下町の「義理人情」を学びながら人間観察するのが幼少期の趣味になる。
学生生活
中高は陸上、大学ではアルティメットフリスビーに夢中に。チームメート命のスポーツ青少年。アルバイトも体を動かすスポーツクラブのインストラクター。それで生計を立てているプロの先輩方がお客様に接する姿勢を見て学び、今も自分自身の営業スタイル(コーポレート所属ですが(笑))の基礎になっている。日中は運動にあけくれ、帰宅後の夜は歴史小説を読み漁る青春時代。
官僚時代
就職活動を行なった2000年当時は就職氷河期。「就職先がない」と世の中が騒いでいた時代。一方で外資系の銀行・コンサルが採用を拡大した時期でもあり、そうした就職先を目指す同級生も少なくなかった。しかし自分は、祖父の生き様を胸に公的機関を選択。その後、官庁派遣の留学経験を機に民間企業を志すことになり、三菱商事に出会う。
入社後

ベトナム総代表社宅での社内新年会での一幕
- 2009年
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<国内/本店/コーポレート(インテリジェンス)>
入社。国際戦略研究所配属。「商社インテリジェンス」の駆け出しの2年間。
- 2011年
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<海外/拠点/コーポレート>
ハノイ事務所(ベトナム)に駐在。インフラビジネス真っ盛りの時代。大使館とも日々連携して情報収集にあたる。当時の各省からの大使館員とは今も戦友の仲。伝説的な「昭和の怖い営業マン」と席を並べ、ベトナムビジネスの裏の裏まで教えを請う日々。
- 2017年
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<国内/本店/事業開発>
本店所属のまま、インドに長期出張し事業開発に取り組む。駐在員のちょっとした一言からたびたび着想を得て、業界知見を掛け合わせることの妙を知る。事業開発の楽しさと苦しみを繰り返し経験。
- 2019年
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<国内/本店/コーポレート(経営企画)>
経営企画部に異動。日々、逃げ道のない判断の連続。会社の舵取りを担う部署の一員となった緊張感。当時の同僚は、別々の部署に散って活躍している今でも、何でも話せる一生の宝物。
- 2023年
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<国内/本店/コーポレート(インテリジェンス)>
現職。世界中の拠点から日々入る情報に分析を加え、全社経営にインテリジェンスを届けることが最大のミッション。これまでの経験と、社内外で築いた人脈、同僚との信頼関係をフル活用する「総合格闘戦」に悪戦苦闘中。
仕事

記憶に残る上司・先輩の言葉

入社以来、たくさんの魅力的な上司に囲まれてきました。そのことが、私自身の人格形成にも好影響をもたらしてくれたと強く確信しています。そんな上司たちの「名言集」を紹介します。
「ご家族の身は私が守る。安心してほしい」
ベトナム駐在時。私の妻が幼児2人を抱えて一時帰国した際、飛行機内で子どもが泣いたことをきっかけに乗務員とトラブルに。それを耳にした当時のベトナム三菱商事社長が航空会社と直接話し合い、毅然と対応にあたってくれた。普段から人当たりがよく、温厚で有名な方だったからこそ、その行動がありがたかった。
「Fumitakeの話は私の話だと思って聞いてほしい」
インドへの長期出張時。当時の私は、インドで投資案件を練り、東京に戻って営業部局に売り込み、再びインドで練り直すことを積み重ねていた。この言葉は、当時のインド三菱商事社長が東京の営業部長にメールで伝えたもの。まだ30代半ばの私だったが、奮い立たないわけがなかった。
「常に自分がラストマンの気概で仕事せよ」
経営企画部に送り出される際、お世話になった常務からかけられた言葉。まさにこの言葉を体現したような方だった。責任感ある仕事への向き合い方として、今でも心がけている。
「(メールの)CCに君の名前が入っている事柄は、君の責任だと思え!」
経営企画部にポテンヒットは許されない。共有された情報は、すべて自分事として捉えて仕事せよという教え。当時の私は、思い描いたパフォーマンスに届かない苦しい時期を過ごしていたが、この一言がきっかけで変われた気がしている。
三菱商事の良いところ・変えたいところ
たくさんの先輩から言われた言葉に「三菱商事は、誰かが必ず見ている会社だから」というものがあります。三菱商事の人事評価を端的に現す言葉だと思っています。関係部署からの評判や信頼が、回りまわってその人に大きな仕事のチャンスを与えてくれる。結果的に大きな評価につながっていく。だから、短期的な評価に一喜一憂しなくていい。これは掛け値なしにそうだと思いますし、与えられたミッションを後になって振り返ってみると、公正な判断に基づくものだったことがよくわかります。会社から従業員へのこうした公正性は、これからもしっかり引き継いでいくべきだとつくづく感じています。
総合商社のビジネスモデルは、トレードから事業投資、そして事業経営へと大きく変化しています。その中で、組織のミッションと提供価値を大胆に再構築しつづける必要があります。コーポレートと営業組織。営業組織と事業投資先。それぞれの役割分担・関係性を常に見直さなければ、組織は陳腐化し、意思決定の重複と遅延を招いてしまう。それは私が担当する拠点においても同様です。変化の速い世の中にあって、常にアップグレードしていくことが求められています。三菱商事という大きな組織を、現場のリアルな情報が血流のように巡り、スピード感ある判断が実行されていく。そうした組織づくりを、一人ひとりの社員が自分事として捉え、継続して意識的に取り組んでいくことがこれからも重要だと考えています。
休日
休日の過ごし方

ゴルフや動画視聴、読書。動画はお涙頂戴のヒューマンドラマが好きです。読書では、文化人類学/国際政治ものに没頭していることが多いです。

